m i n a m o n o(5)

みなもとだより に、なる前、
とりとめのないひとりごと

(みなもとだよりを書くひと の 日記のような頁です。)


 

雪が降る ひかりのなかに 春を見る
木瓜の枝先 夕靄の桃

 

 

210119

生まれも育ちもこのあたり。
なので、雪が積もったところはおろか、降る景色もほとんど見たことがない。
遠い記憶の中、めずらしく降った雪でつくった雪だるまも土混じりの白でした。

縁遠いからゆえに なのか、雪を見ると妙に心がうれしくなります。
年々寒さに弱くなる大人のじぶんの中にも こどものような心のはずみを見つけて、それがまたうれしい、
そんな、ひさしぶりに雪が降るのを見た朝でした。

寒さに弱くなるし、肌は衰えはじめるし、なんだけど、
なにかが弱まればあたらしく強まるものもあるようで、わたしの場合 季節のうごきに敏感になってきています。

雪が降る寒さのなかに あたたかな湿り気を感じるとか、
夕焼け空が色濃ゆくなったような気がするとか、
枯れたように立つ木の枝先に 小さなこぶのような つぼみを見つけたりもして、

道を歩くのも、ただ 寒い だけではなくなって、
なんだかうれしい わくわくする 春の気配 をそこかしこに見つけます。

年を重ねた と言えるほど大人になった訳ではないけれど、
どんどん変化していくじぶんを いまのところ楽しめていて、ま、いいかんじ。

あたたかくなったらしたいことも たくさんありながら、
今 したいこと もどんどんかたちになってきています。

まだ足りないなあ、と感じることもあるけれど、速さが上がってきている ような。
じぶんのなかでのコツ、手法、組み立て方、みたいなものがある程度できてきたということなのかもしれません。

人によるのかもしれませんけど、だいたいのことは、まず手を動かしてみる、書いてみる 人に話してみる。
頭はそこそこに、からだを動かしてみる というのが 何より大事なように 思います。

そうしていると、たまに、
後から思うと 自分でもなんでそうなったのかのよくわからない、ということがあります。

描くことでも 書くことでも、たとえば みなもとだより、という名前もそうなんですが、
自分の意図のようでいて 自然のままに生まれてきたようなものが時々あって、
そういうものは たいてい長く生きていく。強度がある?というかんじ?なのかな。

まだ目には見えないけれどたしかに地面の下で春を待っている草の芽のようなものが、誰の中にもあるというか、自然の中にあって、それが 積み重なりのなかで ヒョイと芽を出す、そんなようなイメージです。
ちゃんと根をはれる大地で、水があって、光がありつづけることも大切だから、ただ待つだけでは育たない。途切れ途切れでも何回も考えつづけて、からだを動かし続けることがやっぱり大事なんだなあ。と思っています。

さて、紙のみなもとだよりも次の春で、6歳です。
人間でいうと、学校 という より多くのひとと関わっていく場所へむかう準備がはじまる頃。

よりいっそう、たくさんの方の声がきこえる 風通しのよい場所 に なっていきたい 今、
できること、やってみたいこと、
今年も ヤッテミナモ の精神で さまざま向かって参ります。

なんて 図らずも、年始のご挨拶のようになりました、

みなさま、いつもありがとうございます。
本年も みなもとだより どうぞよろしくお願いいたします。

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